いろはとほへと ア行
あ
「なんでヒトは生きているのかな?」
少女が尋ねた。
「生きてなんかいないよ。」
い
う
え
お
春よ来い
自分だけの世界じゃない
学校の先生はこう言った。
この学校に女子として通うのは無理だと思う。
君が変わることによって、苦しむ人がいるかもしれない(潔癖性の例をあげて)から、そしてこの学校には、この学校のルールを承知した上で、入学しているのだから、そのルールを変えて、他人に苦痛を与えてまで変わることを認めることは、学校としてできない。
私の世界一の理解者はこう言った。
This whole thing is not about us changing our perspective but about you changing yours.
We're not changing because of you. because this is OUR LIFE. not yours.
Grow up already. maybe you're the one who changes in this situation.
無理なものはしょうがないじゃん。諦めなよ。
今あんたがしてるのは、誰にも理解されてない部分があること分かった方がいいよ。
抽象論で攻めるのももうおしまい、現実を見て無理なことは無理
自分が例外になれると思ってるその時点でますます無理
いろいろなことを、言われた。
何もできない、何も変えられないんだ。
他人に迷惑をかけずに生きろと言われてきた。
でも、迷惑をかけないで生きている人なんているのだろうか。
いない。
だけどそれが許されるのは大人になってから、そう言いたいのですか。
これが私の人生でなく私たちの人生だと言うのであっても、
私がために変わってもいいと思う。
私は私たちに含まれているのだろうか。
考えるのをやめて、黙って、目を閉じ、耳を塞げと言うのですか?
でもそれが現実だったら、
どうすればいいんだろう。
私は悪くない、なんて思わない。
だけどみんなが悪くない、とも思わない。
誰もが悪い面、いい面を持っているはず。
誰もが誰かを時には傷つけて、時には優しく抱きしめる。
でも、それは自分らしく生きていられるから。
確かに制服なんて些細なことかもしれない。確かにそれにこだわってたらただの気持ち悪い人だってずっと思ってきた。
でもなんでいけないのか。その理由が、まだ苦しんでいない未知の人だというのは、どういうこと?
私は現に苦しんでいるのに。
それさえも自己中心的だと言われてしまったら、
もう私は生きていない。
学校は、何もしてくれないわけではなかった。
見えない部分のことは、配慮をしてくれると約束してくれた。
それは素直に嬉しい。そして、安心した。
だけど、その先の道はないと言われて、
今この淵に私は座ってる。
落ちるのも、
留まって飢えるのも、
あてもなく歩き続けるのも、
私には同じに見える。
諦めたくない。
この学校にいる間に。願いを叶えたい。
そう願うことも許されないのですか。
RFC4122 日本語訳
RFC4122 日本語訳(非公式)
公式英語版: http://tools.ietf.org/html/rfc4122
[]内は巻末の注釈を示す。
(#)は訳注を表す。
未完成
汎用一意識別子(UUID)
Status of This Memo
(省略)
Copyright Notice
Copyright (C) The Internet Society (2005).
概要
この仕様は,GUID(Globally Unique IDentifier)としても知られる、UUIDのURN名前空間として定義されます。UUIDは128ビットの大きさをもち、空間及び時間において一意であることを保証することができます。
UUIDは元々、Apollo Network Computing Systemで使われており、その後はthe Open Software Foundation's(OSF) Distributed Computing Environment(DCE)で、 そして現在ではMicrosoft Windowsプラットフォームでも使われています。
この仕様はThe Open Groupとして知られているOSFの許諾のもと、DCEの仕様から得られたものです。DCEの仕様の初期のバージョンから得られた情報は、この文書の一部となっています。
ナンデモナイコト
結局私たちは、
何でもない空を行き、
何でもない道を進んで、
何でもない夢を見る。
そうしていつか振り返って、
何でもなかったんだと思い込む。
そう思い込む人生を歩みながら。
(アニメ「シムーン」・「イリヤの空、UFOの夏」を観て。)
東京マグニチュード8.0
学校の保健の授業で、グループ別に発表を行わなければいけないので、私は自分の班のテーマである、「災害時の心のケア」について調べています。
もはや昔のことのように思える「東日本大震災」。
その際にも、災害で心に傷を負った人は多くいるはずです。
調べている途中に、気になるアニメを見つけたので、観てみました。
それが「東京マグニチュード8.0」です。
このアニメがはじめて放送されたのは、2009年の夏頃のようです。
なので、東日本大震災に影響を受けて作られたわけではありません。
実際、この話で想定されている「首都直下型地震」は、現在想定されているよりも小規模なものに思われました。
もし、実際にこの東京で同じことが起きたら、アニメの中のような話では済まされないでしょう。
実際、先の大震災では、マグニチュードは8.0どころではなく、最終的に9.0と発表されました。
マグニチュードは、2上がるごとに地震のエネルギーは1000倍だったということになるので、1違えば、sqrt(1000) = 約31.6227倍になります。
エネルギーと被害の大きさは比例しないと思いますが、 本当に東京で起こったら…と思うと、私は打つ手がないとさえ思ってしまいます。
内容の話になってしまうので、まだ見ていない人は読まない方が良いかもしれませんが、主人公の弟である小野沢悠貴は、地震後の避難の途中で体調を崩し、命を落とします。
しかし、主人公である姉の未来は、その記憶を夢だと思い、しかも弟の幻影を見て、生きていると思い込んでいました。
しかし、物語の最後で、本当は弟が死んでしまっていたことに気付かされます。
「お姉ちゃん…あのね…」
「どうしたの?言ってごらん?」
「あのね、もしも…僕が…死んじゃったら…どうする?」
「えっ…。…ばっかじゃないの?変なこと、言わないの。」
本当はいないはずなのに、ずっと気付くまで、普通に会話をしていました。
自分の側にいるはずなのに、いざ、生きて帰って来たと知り合いに話そうとすると、いつの間にかいなくなっているのです。
ふと、夢だと思っていた記憶が思い出される。
医者が、トリアージの赤色の部分を切り取った。
残った色は、黒。
地下の暗い霊安室前の廊下。
死亡診断書の前に、立ち尽くす自分。
そして、弟はこう言いました。
「おねえちゃん、あのね…僕…死んじゃったんだ。」
こんな話を聞いても、そんなことが実際にあるのだろうか?と思う人はたくさんいると思います。 私も、そんな体験はしたことがありません。
でも、したことがないからって、本当にないとは言えない。
だって、自分が気付いていなければ、現実のままなのだから。
「いつでも心の中にいるよ。」
「歩き続けよう。」
そう…それでも自分は生きているのだから。
そして、生きている限りは、自分の心の中に、みんな生きているのだから。
だから、前を向いて、歩き続けよう。
そんなメッセージが込められた作品だったと思います。
ふと、こんなことを思いました。
母親にとっては、男の子としての、息子としての「自分」は、死んだのと同じようなことなのではないかと。
そして、それを受け入れられない。
私からすれば、どちらも結局は同じ人間なのだから、誰も死んでないと思う。
でも、確かに、今まで「本当の自分」 は、生きていなかったのかな、と思う。
これから、生きようとしてる。
でも、母親にとっては、一人の子供を失うようなことなのかな…って。
だからって、私にきつくあたるのは間違いだと思いますが。
生きようとしているのに。私は。
学校の先生についても。
「別に今だって生きていられるんだから、放っておけば良い。」
そう考えているのだとしたら、私は間違っていると思う。
そうは思っていないのかもしれない。
でも、何も考えてもらえない自分としては、そう思われているも同然。
友達の一人がこう言いました。
「似合わないより似合う方が良いでしょ。だから、私は、あなたには学ランの方が似合うと思う。セーラー服は…なんか違和感がある。」
そう言われて、かなり悲しかった。
でも、それが現実なのかな、確かに似合わないのかもしれないなぁ、と思った。
でも、同時に思った。
「苦しむより苦しまない方が良いんじゃないかな」
って。
誰かに迷惑をかける(つまり、誰かを苦しませる)のなら、いけないかもしれないけれど、迷惑をかけないなら、私の願いを叶えてもらってもいいんじゃないかな、って。
…母親や、その友達は、迷惑だと感じるのかな。
だったら、それ以外の迷惑だと思わないみんなの前では、自分らしく、いさせてほしい。
服だけじゃない、って大人は言うけれど。
でも、私は苦しいよ。
男子の制服を着ていることが。
似合わなくたっていいよ。
似合わないから着ちゃいけないなんて、だれも言わないじゃん。
学校に行けないほど、苦しいな、と感じる時もある。
でも、学校に行けば、友達と話ができるかもしれない。
少しでも、可能性がある道を。
歩き続けたいな。
生きているのだから。
…その歩き続ける様子を見て、何もしてくれない大人達は、人間としての価値がないと思うけれど。
立ち止まってばかりの人間達に遮られるのが、本当にいらいらする。
生きているんでしょう?
歩き続けようよ。
生きていたいのなら。