Life as Kamino Rui

MtFの私「神野留衣」と、私の現実世界での姿「僕」の二人の日常生活

いろはとほへと ア行

あ 

「なんでヒトは生きているのかな?」
少女が尋ねた。

「生きてなんかいないよ。」

少年が答える。
「本当に"生きている"人なんて、この中に何人もいないよ。」
流れてゆく人々。
自然に発生する流れ。
「本当にそうなのかな?私はそうは思わないなぁ。」
少女が答える。
「誰だって、何かを考えて生きているはず。」
「そう信じているだけなんじゃない?」
少年は歩き出す。
「何を考えているかなんて、目に見えない。見えないものは確かめられない。だから、そんなもの存在しない。
流れる人の間を縫って少年は歩く。
「ちょっと待ってよ。」
少年へと伸ばした腕にぶつかる人々。いや、ぶつからない。
「目に見えなくても、確かにここに存在する。見えるものがすべてじゃない。大切なものは、目には見えないんだよ。」
少女と少年が重なる。
同じ視界を共有する。
「誰一人、目に見えるものは同じじゃないんだから。」
 
そう。
私たちを除いては。
 
 
「ヒトが生きるのは、何かをのこしたいからじゃないかな。」
「それは、子孫ということ?」
少年は歩く。
「そういう人もいると思う。」
少女も歩く。
「でも、それだけじゃないと思う。」
「なら他に何があるのさ」
「生命は皆自分の種の存続を求めて子孫をつくる。だけど人間は、それ以外のものものこしてきた。文明や文化、歴史…。そして、それを支える文字。」
「でも、それを維持するのだって人間だよ。人間がいなくなれば、それらはすべて消え去ってしまう。」
「そうかもしれない。」
人の流れを人の流れが横切る。
どちらかが途切れなければ、どちらも流れられない。
二つは同時に同じ場所に存在できない。
「でも、いつかはヒトがヒトを作れる時がくる。だから私は人工知能を研究する。」
「そっか。まあそれもありかもね。」
階段を降りてゆく。前の人に合わせて。遅れないように。早まらないように。
「でも、君だって生きているんだから、子孫をのこしたいと思うだろう?思わないとは言わせないよ。」
ゆっくり歩く人を追い越してゆく前の人。
少し迷ってから、追い越してゆく私たち。
必死そうにゆっくり降りる人。急がなくてもいいのに。
「本当は、したいんでしょ?身体はそうできているんだから。」
階段を駆け下りる。
急ぐ必要なんてないのに。
「黙ってて…」
「ほら、結局は…」
「黙っててよ!思い出させないで。なんでそんなこと…。」
改札が近づく。ポケットから取り出した定期券を眺める。
「その身体は、私のものじゃないのに…。」
 
本当は、わかってる。
私もその身体で生かされているんだって。
 
 
「なんですべてを分けようとするんだろう。善と悪、正と誤、真と偽、1と0…男と女。」
「分けることで簡単だと思い込みたいからだよ。自分はこの世界のすべてを知ってる、正確に知っているんだって、人間が思い込みたいから。」
「なんでそう思い込みたいの?」
「安心したいんだよ。少しでも確実なもの、目に見えるものを好むようにね。」
「私は知ってるよ。目に見えるものがすべてじゃないって。」
「本当にそう言えるか?今のその言葉を発することによって、君はその思いを誰かに伝えて、それによって安心を得た。なにも変わらないよ。他の人と一緒。ただ安心を求めているだけ。
「…じゃあいったいどうすればいいの。」
「信じればいい。だってそこにいるのは君自身だけだろう?自分という存在が消えれば、他人という存在だって消えてしまう。自分が信じるだけで十分なんじゃないかな。」
「黙っていればいいの?」
「そういうことになるね。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「ふふっ。笑わせないでよ。」
 
きっと正解を求めている時点で、私はただの人間なんだ。
でも、人間だから、それもしょうがないのかな。
 
 
「耳が聞こえないってどんな感じ?」
「…。」
「ねえ。」
「そんな感じ。」
「うん…じゃあ、目が見えないってどんな感じ?」
「目が見えるの?」
「えっ?」
「なにが見えるの?」
「人。窓。流れてゆく景色。前の人の髪。中吊り広告、新聞、携帯の画面…」
「何が見えないの?」
「見えない?」
「見えないものを知ることはできるの?」
「うーん、あるとは思うけど、よくわからない。」
「この会話に意味はあるの?」
「…あるよ。」
「本当に?」
「もちろん。だって、意味はあるの?って考えるきっかけになったから。」
「本当に考えたの?」
「考えたよ。」
「で、考えた結果は?」
「あんまり意味はなかったかな…。」
「やっぱり。」
「うん…でもさ、」
「なに?」
「意味がなくても、いいかな、って思えた。」
 
 
「思い出って不思議な感じだよね。」
「そうなの?」
「そうだよ。この曲を聴くと、思い出すなぁ。中学三年のあの頃を。」
「どんなことがあったの?」
「いろいろさ。苦しかったことも。灰色の季節。嬉しかったことも。信頼できる人との出会い。そして高校受験、卒業式。」
「私が生まれたのもその時だったね。」
「なんだ、覚えてるじゃん。何か思い出は?」
「ない。」
「ない?なんで?」
「だって、それより前に私はいなかったから。」
「…。そんなことないと思うよ。」
「でも、意識しなかった。そうでしょう?」
「そりゃ、そうだけど…。」
「寂しい?」
「え?」
「今は私だけがいる。あなたはもういない。もうあなたの記憶は、思い出は増えない。それが寂しいと思うことはない?」
「うーん…」
「私は…寂しいよ。何かが欠けているみたいで。でも、選択は後悔してない。あの頃の灰色の世界より、今の世界のほうが色に満ちているから。」
「でもその分、心の中が空っぽになったんでしょ。」
「そうだね。混ざり合って、薄くなった。」
「混ざり合わないのも悲しいけれど、混ざり合っても悲しいんだね。」
「そう。どっちも求めてしまう。でも、今はこれでいいかな。」
「また、別れの季節がやってくるね。」
「出会いの季節も、だけどね。」
「前向きだね。昔とは違って。」
「そうでもないよ。だって…」
「だって?」
「振り返る過去が、私にもできたから。」

春よ来い

石の上にも三年。

私が初めて自分の外側に私の存在を打ち明けたのは、三年前。
2011年3月17日。
それが、私の誕生日。

17日。
特別な日だ。
私の、僕の誕生日でもある。
私が大切に思う人、憧れる人の誕生日でもある。
そして、7番目の素数

人なんていつ生まれても同じだと思う。
だから誕生日なんて無意味だ。
私もそう思う。
だけど、私は17日が大好きだ。

次の17日を迎える時には、
私が私になっている。

来年度から。
あと残り一年ですが。
私は私として、今通っている高校へ通うことになります。
制服を変えて。

喜びというよりも、これからが本当の戦いだと思っています。
精神的に不安定な母親とどう生きてゆくのか。
いつまでも不完全な自分とどう折り合いをつけるか。
同級生たちはどう反応するか。
そしてその人々の声をどうやって拾うか。

診断書が出たから、学校は動いてくれた。
だけど、そんな紙切れで世界は変わらない。
変えるのは私だし、私も変わってゆく。

ひとまず、今は。
嵐の前の静けさ。

わからないことがあるなら、実験してみればいい。
少しくらいの怪我ならば、
どんな科学者もしているはず。

でも、それで他人を傷つけてはいけない。
忘れがちなことだけど。

自分だけの世界じゃない

学校の先生はこう言った。

この学校に女子として通うのは無理だと思う。

君が変わることによって、苦しむ人がいるかもしれない(潔癖性の例をあげて)から、そしてこの学校には、この学校のルールを承知した上で、入学しているのだから、そのルールを変えて、他人に苦痛を与えてまで変わることを認めることは、学校としてできない。

私の世界一の理解者はこう言った。

This whole thing is not about us changing our perspective but about you changing yours.
We're not changing because of you. because this is OUR LIFE. not yours.
Grow up already. maybe you're the one who changes in this situation.

 

無理なものはしょうがないじゃん。諦めなよ。

 

今あんたがしてるのは、誰にも理解されてない部分があること分かった方がいいよ。

 

抽象論で攻めるのももうおしまい、現実を見て無理なことは無理
自分が例外になれると思ってるその時点でますます無理

いろいろなことを、言われた。

何もできない、何も変えられないんだ。

他人に迷惑をかけずに生きろと言われてきた。

でも、迷惑をかけないで生きている人なんているのだろうか。

いない。

だけどそれが許されるのは大人になってから、そう言いたいのですか。


これが私の人生でなく私たちの人生だと言うのであっても、

私がために変わってもいいと思う。

私は私たちに含まれているのだろうか。


考えるのをやめて、黙って、目を閉じ、耳を塞げと言うのですか?

でもそれが現実だったら、

どうすればいいんだろう。


 私は悪くない、なんて思わない。

だけどみんなが悪くない、とも思わない。

誰もが悪い面、いい面を持っているはず。

誰もが誰かを時には傷つけて、時には優しく抱きしめる。

でも、それは自分らしく生きていられるから。

確かに制服なんて些細なことかもしれない。確かにそれにこだわってたらただの気持ち悪い人だってずっと思ってきた。

でもなんでいけないのか。その理由が、まだ苦しんでいない未知の人だというのは、どういうこと?

私は現に苦しんでいるのに。

それさえも自己中心的だと言われてしまったら、

もう私は生きていない。

 

 学校は、何もしてくれないわけではなかった。

見えない部分のことは、配慮をしてくれると約束してくれた。

それは素直に嬉しい。そして、安心した。

だけど、その先の道はないと言われて、

今この淵に私は座ってる。

落ちるのも、

留まって飢えるのも、

あてもなく歩き続けるのも、

私には同じに見える。


諦めたくない。

この学校にいる間に。願いを叶えたい。

そう願うことも許されないのですか。 

 

RFC4122 日本語訳

RFC4122 日本語訳(非公式)
公式英語版: http://tools.ietf.org/html/rfc4122
[]内は巻末の注釈を示す。
(#)は訳注を表す。
未完成

汎用一意識別子(UUID)

Status of This Memo

(省略)

Copyright Notice

Copyright (C) The Internet Society (2005).

概要

この仕様は,GUID(Globally Unique IDentifier)としても知られる、UUIDのURN名前空間として定義されます。UUIDは128ビットの大きさをもち、空間及び時間において一意であることを保証することができます。
UUIDは元々、Apollo Network Computing Systemで使われており、その後はthe Open Software Foundation's(OSF) Distributed Computing Environment(DCE)で、 そして現在ではMicrosoft Windowsプラットフォームでも使われています。
この仕様はThe Open Groupとして知られているOSFの許諾のもと、DCEの仕様から得られたものです。DCEの仕様の初期のバージョンから得られた情報は、この文書の一部となっています。

続きを読む

ナンデモナイコト

結局私たちは、
何でもない空を行き、
何でもない道を進んで、
何でもない夢を見る。

そうしていつか振り返って、
何でもなかったんだと思い込む。

そう思い込む人生を歩みながら。

(アニメ「シムーン」・「イリヤの空、UFOの夏」を観て。)

東京マグニチュード8.0

学校の保健の授業で、グループ別に発表を行わなければいけないので、私は自分の班のテーマである、「災害時の心のケア」について調べています。
もはや昔のことのように思える「東日本大震災」。
その際にも、災害で心に傷を負った人は多くいるはずです。 

調べている途中に、気になるアニメを見つけたので、観てみました。

f:id:rui_kamino86:20130113110348p:plain
それが「東京マグニチュード8.0」です。

このアニメがはじめて放送されたのは、2009年の夏頃のようです。
なので、東日本大震災に影響を受けて作られたわけではありません。
実際、この話で想定されている「首都直下型地震」は、現在想定されているよりも小規模なものに思われました。
もし、実際にこの東京で同じことが起きたら、アニメの中のような話では済まされないでしょう。

実際、先の大震災では、マグニチュードは8.0どころではなく、最終的に9.0と発表されました。
マグニチュードは、2上がるごとに地震のエネルギーは1000倍だったということになるので、1違えば、sqrt(1000) = 約31.6227倍になります。
エネルギーと被害の大きさは比例しないと思いますが、 本当に東京で起こったら…と思うと、私は打つ手がないとさえ思ってしまいます。

 

内容の話になってしまうので、まだ見ていない人は読まない方が良いかもしれませんが、主人公の弟である小野沢悠貴は、地震後の避難の途中で体調を崩し、命を落とします。
しかし、主人公である姉の未来は、その記憶を夢だと思い、しかも弟の幻影を見て、生きていると思い込んでいました。
しかし、物語の最後で、本当は弟が死んでしまっていたことに気付かされます。

「お姉ちゃん…あのね…」
「どうしたの?言ってごらん?」
「あのね、もしも…僕が…死んじゃったら…どうする?」
「えっ…。…ばっかじゃないの?変なこと、言わないの。」 

 本当はいないはずなのに、ずっと気付くまで、普通に会話をしていました。
自分の側にいるはずなのに、いざ、生きて帰って来たと知り合いに話そうとすると、いつの間にかいなくなっているのです。

ふと、夢だと思っていた記憶が思い出される。
医者が、トリアージの赤色の部分を切り取った。
残った色は、黒。
地下の暗い霊安室前の廊下。
死亡診断書の前に、立ち尽くす自分。

そして、弟はこう言いました。

「おねえちゃん、あのね…僕…死んじゃったんだ。」

 

こんな話を聞いても、そんなことが実際にあるのだろうか?と思う人はたくさんいると思います。 私も、そんな体験はしたことがありません。
でも、したことがないからって、本当にないとは言えない。
だって、自分が気付いていなければ、現実のままなのだから。

「いつでも心の中にいるよ。」
「歩き続けよう。」

そう…それでも自分は生きているのだから。
そして、生きている限りは、自分の心の中に、みんな生きているのだから。
だから、前を向いて、歩き続けよう。
そんなメッセージが込められた作品だったと思います。 

 

ふと、こんなことを思いました。
母親にとっては、男の子としての、息子としての「自分」は、死んだのと同じようなことなのではないかと。
そして、それを受け入れられない。

私からすれば、どちらも結局は同じ人間なのだから、誰も死んでないと思う。
でも、確かに、今まで「本当の自分」 は、生きていなかったのかな、と思う。
これから、生きようとしてる。

でも、母親にとっては、一人の子供を失うようなことなのかな…って。

だからって、私にきつくあたるのは間違いだと思いますが。
生きようとしているのに。私は。

学校の先生についても。
「別に今だって生きていられるんだから、放っておけば良い。」
そう考えているのだとしたら、私は間違っていると思う。
そうは思っていないのかもしれない。
でも、何も考えてもらえない自分としては、そう思われているも同然。

友達の一人がこう言いました。
「似合わないより似合う方が良いでしょ。だから、私は、あなたには学ランの方が似合うと思う。セーラー服は…なんか違和感がある。」
そう言われて、かなり悲しかった。
でも、それが現実なのかな、確かに似合わないのかもしれないなぁ、と思った。
でも、同時に思った。
「苦しむより苦しまない方が良いんじゃないかな」
って。

誰かに迷惑をかける(つまり、誰かを苦しませる)のなら、いけないかもしれないけれど、迷惑をかけないなら、私の願いを叶えてもらってもいいんじゃないかな、って。

…母親や、その友達は、迷惑だと感じるのかな。
だったら、それ以外の迷惑だと思わないみんなの前では、自分らしく、いさせてほしい。 
服だけじゃない、って大人は言うけれど。

でも、私は苦しいよ。 
男子の制服を着ていることが。
似合わなくたっていいよ。
似合わないから着ちゃいけないなんて、だれも言わないじゃん。

 

学校に行けないほど、苦しいな、と感じる時もある。

でも、学校に行けば、友達と話ができるかもしれない。
少しでも、可能性がある道を。
歩き続けたいな。
生きているのだから。 

…その歩き続ける様子を見て、何もしてくれない大人達は、人間としての価値がないと思うけれど。
立ち止まってばかりの人間達に遮られるのが、本当にいらいらする。
生きているんでしょう?

歩き続けようよ。
生きていたいのなら。