Life as Kamino Rui

MtFの私「神野留衣」と、私の現実世界での姿「僕」の二人の日常生活

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。神野留衣です。
とは言っても、もはや6日になってしまいましたが。

 今年こそは、本当の自分として、学校に通えるようにしたいと思っています。
たとえそれが無理でも、願うことは誰にも止められないはずだから…。

確かに、学校が性同一性障害を受け入れて、生徒の心の性別を尊重して、それに合わせた生活ができるよう配慮したという例はまだまだ少ないようです。
でも、それが私を受け入れられない理由になるはずはない。
そして何より、実際に理解してくれるクラスメイトは何人もいるのだから、最後は学校と親の判断によるのだろうと思います。

親の判断…これが、私にとっては最も大きな壁となっているようです。

私は、小学校五年生の時に父親を亡くして、それからは母親と二人で暮らしてきました。
だから、母親の理解さえ得られればよい…そう思っていました。
でも、母親は、簡単には理解してくれない。

「あなたのことは今まで男の子と思って育ててきたのだから。」
「そんなすぐに受け入れろだなんて言われても無理。」 

その言葉に、私は返す言葉がない。
私だって、そのくらい考えていたよ。
周囲の人々にとっては、私は大切な一人「息子」なんでしょう?
でも、それは私にとって苦しみでしかなかった。
周囲の人々が、お世辞のつもりで言う言葉。

「男らしくなったね。」

その言葉に、一体どう返せば良いというの?
事実ではないことを願う自分、お世辞であってほしいと思う自分。

こうやって、周囲の人々の好意を正直に受け入れられない自分が悪いんだとずっと考えながら、どうすれば良いか考えていた。
その答えが、本当の自分として生きること。

でも母親は、その変化を受容できなかった。

私は、変化を受容できない人間が嫌い。
自分は変化を受容できる人間になろうと思って生きてきた。
そうすれば、誰にでもやさしくなれるはずだから。

私の学校の同級生は、変化を受容する能力が高い人々だ。
世間的に見て、文句なしに「頭が良い」集団。
 今まで、40名ほどのクラスの中で、6人の同級生に打ち明けた。
誰一人として、変な顔をする人はいなかった。

「それもありだとおもうよ。」
本気でなやんでるやつを拒むなんてことはしない。」 
変わるかはわかんないけどやれることならやる。」 
「今の高校って社会にでる前の社会勉強の場じゃないの?そんなこといってたら、一生自分の気持ち抑えろって言ってるようなもんじゃない。」 

みんなは、真剣に考えてくれている。うれしい。
かえって自分は謝りたい。時間を奪ってしまってごめんなさい、と。
自分がこんな悩みを抱えていなかったら、考える時間を私のために割いてもらわないで済んだのに…。 

そのためにも、私は今すぐにでも変わりたい。
でも、それを邪魔するのは大人達。大人という名の、自分では何も考えない人々。

「あなたの行動は焦っているように見える、と校医の先生方が言っていた。」
「大学に行けば、自由なんだから…。」
「あと三年間、その周囲を思いやる気持ちで我慢してくれたらなぁ…。」
「思い込み、ってことも、あるからね…。」

私は、自分の通っている学校のことが大好きだ。
だから、先生方のことも嫌いにはなりたくない。
でもこんなことを言われて、嫌いにならないではいられない。
先生方も、こう言われるのは不本意だと思う。

「大人は分かってくれない。」

でも、今の状況はそれ以外の何物でもない。
今は担任の先生以外とは話していないから、当然他の先生方に対する感情は変わらない。

でも、私は担任のことが嫌いになった。
そして、母親のことも。

こうやって嫌いになる自分を、嫌いになる自分もいる。
変化を受容できないでいるのは、自分自身ではないかと。
受け入れてくれない、という事実を受け止められていない自分もいると思う。
でも、どうすればよいのだろう?

母親は、こう言った。

「診断が下りるまでは何もしないから。そのつもりでいて。」

診断…。そっか。分からない人に分からせるためにある「決まり事」を使わないと、理解してくれない人間なんだ。
私は、母親のことを母親とは思えなくなった。
思えなくても、母親であることに変わりはないけれど。
思っていても、母親は優しくしてくれないけれど。

それは大人の世界では普通のことなのかもしれない。
でも私は、ばかばかしいと思う。
診断があろうがなかろうが、理解する人は理解するし、理解しない人はしないと思う。

…なんてことを言っていると、大人の人々は、

「やっぱり子供だ」

と思うのでしょう。
それに加えて、私のこの悩みが、思い込みであるとすら考えるのだと思う。

…人間不信だなぁ、自分。

とりあえず、直近の目標は

「診断書を得ること」

です。

そうしないと、もう、何も変えられないようだから。大人の管理する世界は。
でも、私は同時に、クラスの人々に打ち明けることは、診断の有無にかかわらず続けていくつもりです。
なぜなら、同じクラスの人々は、信頼できる人々だから。
中身を見てくれる人々だから。
そして私自身は、その紙切れがあろうとなかろうと、変わることがない「私」だから。 

とりあえず、もう一カ所病院の予約を取ることからはじめようと思います。
今年中に、変われることを、戻れることを願って。
私に。 

見えない障害バッジ

みなさんは、「見えない障害バッジ」とは何か、知っていますか?

見えない障害バッジ|わたしのフクシ。

私は一年ほど前にこのバッジの存在を知ったのですが、つい先日まで忘れていました。
しかし、 Wikipediaで「アウェアネスリボン」の項目を読んでいた際に存在を思い出して、ホームページに飛んだところ、丁度その次の日から申し込みを受け付ける、ということだったので、思わず申し込んでしまいました。
で、今日届いたバッジ(当事者用)を、携帯電話につけてみたところ。

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 「大切なものは目にみえない」
このバッジの存在を知る前から、基になっている「星の王子さま」も読んだことがないのに、 私はこのことを常に考えてきました。
本当に大切なものが、目に見えるとは限らない。
目に見えないものこそが、本当は大切なものなのかもしれない、ということ。

私はまだ「性同一性障害である」という診断も受けていないし、性同一性障害が「見えない障害」なのかどうかも分かりません。
でも、それを決めることができるのは唯一自分自身だと思います。
自分がそう思えるなら、正しいんだと思う。そう思わないと、人は生きていけない。

…そう思わないと、私でいることはできない。
だって、私が本当の自分であるという証拠は、どこにもないから。
私の心の中以外には。 

この「見えない障害バッジ」の活動は、Twitterから始まったそうです。
インターネットの真の力というのが、ここに表れているのではないでしょうか。
 そして、インターネットだけでは終わらず、それを現実世界に還元している、「わたしのフクシ。」の皆さんには、本当に頭が下がります。

私はあと数個、同時にバッジを購入したので、友人の(私とは違う「見えない障害」の)当事者と、私のことを支えてくれる友人にプレゼントしたいと考えています。

 みなさんにも、「目に見えない大切なもの」があることを、心の片隅でいいので、考えてほしいな、と思います。

ということで、少し気分が前向きになった神野留衣でした。

ヒトはなぜ生きているのだろう

ずっと、考えていること。
暇さえあれば、いつも考えていること。
そして、答えが出ないこと。
答えがある必要がないのかな。
答えがない、それこそが、生きている意味なのかもしれない。

ヒトは生きて、その時間を使って、一体何をしているのだろう。
私は今、高校生だ。
学生のするべきこと。それは、勉強。
でも、「学ぶ」ということには、二つの段階がある。
一つ目は、既知の事実を先人から受け継ぐということ。
そしてその後に、その事実から予測される「事実であるはずのこと」を導きだすということ。

でも、そんなことを考えて生きている人間がどれだけいるのだろうか。

そして、もう一つ。

私たちが使うことができる時間は、今のところ有限だ。
新たな事実がこの世界に増え、学ぶべき既知の事実が増えれば、その既知の事実を学ぶために使う必要のある時間は増えるだろう。

そうしたら、やがてヒトは、先人の遺したものを受け継ぐだけで、その生命を使い果たしてしまうのではないだろうか。

…それを補うための方法が、コンピューターなのだと思うけれど。
 でも、それでさえいつかは足りなくなるだろう。

そもそも、この世界のすべてを理解してしまったら、一体私たちは何のために生きるのだろうか。
自分が生きていようがいまいが、何もかもが分かりきった世界。
そんな世界の、何が楽しいのだろう。

 

…なんて、分かりきっているかのように感じてしまう自分が、一番嫌だ。
自分が一番、何も分かっていないのだな、と思う。

他の人から自分がどう見られているのか、気にして生きているのは、なぜだろう。
そんなもの、気にしなければ良いのに。

もし、他人からどう思われるのかを完全に気にする必要がなくて、しかも自分が自分のことについて考えようと思わなければ、「性同一性障害」という問題に悩まされることもないと思う。

でも、実際は違う。

…どう違うのだろう。

純粋に論理だけ考えれば、性別なんてどうでもいいのかもしれない。
だって、身体の性別はただのイレモノであって、心の性別なんて、曖昧なもので、分けることができないから。

…間違った先入観を持ってほしくないから、ということなのかもしれない。
ヒトはどうしても、相手のことを見た目で判断してしまう。
そして、殊に性別については、判断に強い影響を与えているのだと思う。

たとえば、服装が乱雑できちんとした人間に見えなくても、その人が丁寧な口調や行動をしていれば、周囲の人々は、その人が本当はどういう人なのか、先入観を上書きして判断することができる。

でも、なぜか性別についてはそうじゃない。

いくら女性っぽい行動をしていたとしても、服装や身体が男であるというだけで、周囲の人々の意識の中には「女っぽい男」というイメージしか浮かばない。
なぜだろう。

逆もまた然り。
どんなに男勝りでかっこいい人がいても、その人の服装や身体が女であるというだけで、周囲の人々の意識の中には「男っぽい女」というイメージしか浮かばない。

そのイメージを書き換えるのは、とても大変なことだ。
言葉だけで伝えようとする場合は特に。
 

いつも、ことあるごとに考えてしまう。
どうして、自分は生まれた時から、「本当の自分」として生きて来れなかったのだろう、と。
そんなことを考えても、何の意味もないのに。

今まで生きてきた自分だって、自分であることに変わりはない。
でも、なぜかは分からないけれど、それは本当の自分ではない、と感じてしまうだけ。

 

そんなつまらないことで、いつも私は時間を浪費してしまう。
つまらないことだと分かっているのに、それ以外のことをすることができない。 
…そんなことを言ってしまったら、ただの言い訳なのかな。

明日からは期末考査だというのに。何もしていない自分。
何かしたいのに。勉強したいのに。

高校は、義務教育ではない。
成績が悪ければ、容赦なく落とされる。

どうすればいいのかな。
もっと自分が強くなれば良いのかな。
生きるために、とりあえず何かしなくちゃ。 

 

今の私が生きている理由は、自分の思いをこの世界に遺すためだと思った。
普通のみんなのように、「私の生物学的コピーに近いもの」を遺すことはできないから。

と、眠い中で考えた神野留衣でした。 

抽象的に考えられるということ

お久しぶりです。数ヶ月ぶりですね…神野留衣です。

今まで書いてきた状況と比べて、最近になって様々なことが変わりました。
でも、そのすべてをここに記す必要もないだろうし、すべてを書き残すことはできないだろうと思います。
だから、これからは(今までもそうだったけれど、)思ったことを、書き連ねていこうと思います。

それがいつか、理解できる人の目に留まることを願って。

 

今回はタイトルのように、「抽象的に考える」ということについて考えたことを、話したいと思います。

私は、学問というのは、どれも身の回りの現実世界を抽象的に考えたものであると思います。
そして、学問を理解できる、つまり頭が良い人と一般的に言われる人というのは、抽象化して物事を考えることのできる人々であると思います。

そして、抽象化の究極の形態が、ロジック、つまり論理であると思います。

私は、「性同一性障害」というものを理解できる人は、抽象化という概念を深く理解できている人、つまり頭のいい人と重なるのではないか?と思いました。

性同一性障害というのは、心と身体が一致しない状態である、と一般には言われますが、果たしてその概念を理解できている人が、この世界にはどれほどいるのでしょうか。

私は、コンピューターがそれなりに得意で、プログラミングもよくします。
そのような話を、前に精神科の先生にしたところ、
性同一性障害の人って、コンピューターに強い人が結構多いよ。」
と、言われたことがあります。

その言葉が事実かどうかはわかりませんが、私はその話を聞いて、納得できる点があると思いました。

なぜなら、コンピューターというものは、「抽象的に考える」ことで、成立しているものだからです。

人間にとっての身体は、コンピューターにとってのハードウエアであり、人間の心は、ソフトウエアであると私はよく説明します。

だからこそ、心と身体が一致しないという状態があり得るのだと、私は理解しています。

しかし、世の中には、コンピューターやプログラミングを理解できない人々が大勢います。

「お使いのコンピューターのOSは何ですか?」
「えっと…富士通です。」

そう答えてしまう人々の頭の中では、コンピューターというものが、この機械自体を指していると考えているのでしょう 。

しかし、本当はそうではない。

私たちがコンピューターとして利用しているものは、あくまでもコンピューターの上で走る論理、ロジックの固まりなのです。

それは、コンピューターという箱、イレモノには関係ありません。

イレモノが同じでも、違う論理かもしれない。

イレモノが違っても、同じ論理かもしれない。

 それを理解できない人が、この世界には大勢います。

それはなぜか。

その仕組みによって恩恵を受けるために、その仕組み自体を理解する必要がないからです。

人間は、必要に迫られなければ何もしない。
いや、そんな人間は、もはや人間としては呼べないでしょう。

しかし、多くの部分では、必要のないことに対して人間は意欲を持てません。

それなのに、コンピューターの仕組みを理解していなくても、コンピューターというモノを使うことはできる。

本当に、それで良いのでしょうか?

 

私はそこでふと、こう考えました。

もしも、誰もがコンピューターにもっと詳しくなって、抽象的に物事を考えられるようになれば、性同一性障害は、もはや問題ではなくなるのではないか、ということを。

誰もがもっと、理解できるようになるのではないか、と。

 

しかし、今、この世界では、理解できない人が多くを占めているのでしょう。

その人々の考えを改めることは容易ではありません。 

 

受け入れてもらわなくても、自分として生きなければならない。

それは、社会的に難しいことかもしれないけれど、でも、そうしなければ、生きていけない。

では、理解できない人に対して、どのように「自分」という存在を納得させるのか。
…難しいですね。

でも、自分が自分らしく生きれば、周囲も理解せざるを得ないのではないか。
というか、何を恐れる必要があるんだろう。

だって、それこそが自分なのだから。

 

と、人工知能をつくりながら考えていた神野留衣でした。 

Parallel:World~君と僕と私~002

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最近ブログはあまり更新できていませんね…ごめんなさい。
生きるって結構疲れますね。
疲れて忘れられるようなそんな簡単な問題だったらいいのに。
学校も休んだり、遅刻することが重なってしまって…。

やはり、行動を起こさなければダメですね。
そうしなければ、何も変わらない。
頑張らなきゃ…。

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002:戻りたい、戻りたくない

「…神田さん…聞こえる?」
はっ、と我に返る私。
「聞こえる…けど…。」
何とか声を絞り出す。
「よかった…倒れちゃったかと思った。」
「倒れるところだったよ…」
なんとか意識がはっきりしてきた。

壁の時計は、まだ朝の七時過ぎだった。
「どうする?少し休む?あ、そうだ、今家には誰もいないから、安心して大丈夫だよ。」
「だれも…?」
「うん…母親は再来週くらいまで入院してるから。」
「そう…。」
入院…一体どうしたのだろう。
「神田さんのところは、お父さんはどうしたの?」
「転勤…九州に。だから今は一人暮らし。」
「そうなんだ…。」
一瞬途切れる言葉。
「ねえ。」
「なに?」
電話をつかむ手に力がこもる。
「どうして西野くんはそんなに平気でいられるの?」
「…別に。平気じゃないけど。」
急に西野くんの声が沈む。
無言の空白が、永遠にも感じられた。
「そうだ。」
「…。」
「直接会って話そうよ。その方がいいと思う。」
西野くんの提案を聞いて、私は突然重要なことに気がついた。
「…うん、わかった。」
そうだ、私が行かなきゃ。
「私がそっちに行く。」
「えっ?大丈夫?」
だって、
「大丈夫…だから何もしないで動かないでいて。」
「…わかった。服は制服が多分そこらへんのハンガーにかかっているから、それを着ればいいと思う。定期は机の横に、チャージしてあるし、鍵も一緒に…」
ガチャ。
電話を切った。
急がなきゃ。
男子なんかに私の部屋を探られたくない。
その一心で、私は西野くんの部屋に戻り、「家」へと帰る準備を始めた。
鍵と定期は…あった。
制服のズボンは、これかな。
Yシャツは…。
どこだ…。
…えっ。
見つからないYシャツを探すために、クローゼットのドアを開いたところで、私は止まった。
確かに、Yシャツはそこにあった。
しかしその横に、あってはならないはずの、だけど私には見慣れたものが掛かっていた。
「…なんで…女子の制服。」
そこには、季節外れのブレザーと、紛れもない制服のチェックのスカートがあった。

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「ピンポーン。」
八時半もすぎた頃、はじめて聞くはずの、だけど誰もが知っているような音色のインターホンが鳴った。
玄関へと走り、ドアスコープを覗く。
一瞬驚いた。だけど、すぐに思い出す。
カチャ。
玄関の外には、少し怖い顔をした自分…の姿をした神田さんが立っていた。
「神田さん…」
「ちょっとそこで待ってて。入ってこないでよ。」
玄関の鍵を後ろ手に閉めると、神田さんは自分の部屋へと入り、ドアを閉めた。
…なんか、嫌われてるみたいだなぁ。
そう思いつつ、自分は言われた通りに廊下の床に腰を下ろして、神田さんを待った。
立ったままだと、あまりにもみっともなかったから。

しばらくすると、部屋のドアが開いた。
「どうぞ。」
そっけない言い方で部屋に招き入れられると、神田さんは冷蔵庫を開いた。
「何も食べてないでしょ…何かいる?」
「あ…はい、何でも良いです。」
それを聞くと、神田さんは冷蔵庫から菓子パンを二つ取り出し、コップ二つに牛乳を注いで、背の低い丸い机に置いた。
「ほら、食べようよ。」
その声に無言で頷くと、自分は神田さんの向かいに座った。
「いただきます。」
そう言って、神田さんがパンの袋を破り開けた。
「…いただきます。」
それに続くように、私はコップの牛乳に手を伸ばした。
ふと、パンの袋を開けようとする自分の手が、今までとは違って細く、小さく、そして丸みを帯びているように感じた。

あっという間に二人とも食事を終え、神田さんがパンの袋とコップを戻すため立ち上がった時、やっと自分は、さっき神田さんが何をしていたのか気付いた。

すぐ側の床には、綺麗にたたまれた男子の制服が置かれ、神田さんは普段着なのであろう、女の子の服装に着替えていた。

それでも、どうしても自分の身体…「西野君」の身体の男っぽさは残っていた。

「ふぅ…。」
ため息をつく神田さん。
「なんだか大変なことになってしまったね…。」
いたたまれなくなって、とりあえずそう言ってみた。
「本当だよ…。」
そう言って目を閉じた神田さんを見ていられなくて、部屋の中へと視線を移した。
壁際のフックには、女子の制服のかかったハンガー。
もし、月曜日までこのままだったら、あれに袖を通すことになるのかな…。
神田さんには悪いけれど…嬉しいかもしれない。
そう思った瞬間、視界を人影が遮った。
「あのさ…西野君。」
少し申し訳なさそうな、だけど若干の嫌悪を含んだような視線を感じて、自分が今考えていたことが神田さんに分かったのだろうか、と心配になった。
でも、そんなことはあり得ない、そんなの分かるはずがない、と自分に言い聞かせる自分がいた。
「なに?」
立っている神田さんの目を見るために、顔を上に向ける自分。
「もしかして…」
そこまで言って、目が泳ぐ神田さん。
「…もしかして、西野君は…」
そう言って振り返り、壁にかかった制服…さっきまで自分が視線を向けていた…を見つめて、神田さんはこうつぶやいた。
「…女装とか、そういうのが趣味なの?」

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「…。」
なんと言えばいいのだろう。
答えたくない。
でも、何か言わなきゃ。
「なんで…そう思うの」
「なんでって…。」
少し困った顔をした自分の顔が見える。
なぜ気付かれてしまったのだろう。
ずっと、気付かれないように注意して生きてきたのに。
気付いて欲しくないわけではなかった。
だけど、もし理解してくれなければ、誤解されれば、言われることは一つだけ。
とうとうその瞬間が来てしまったのだろうか。
私は身を強張らせた。
「クローゼットの中に…制服…女子の制服があるのを見たんだ…ごめん…」

神田さんの言葉の意味を、自分は理解できなかった。

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「えっ?」

私は西野君がどんな反応を返してくるのか、予想できているつもりだった。
西野君のことだから、何か理由があるに違いない。
黙り込んでしまうということはあるかもしれないけれど、きっと理由を説明してくれる。
それを期待して口を開いた私に返ってきたのは、一瞬の空白と、戸惑いの表情だった。
「…えっ?」
つられて私も同じことを言う。
「え…女子の制服?僕の部屋に?」
戸惑う西野君。
「うん…見たんだけど…」
不安になる私。
「あるわけないよ!」
遮るように口を開いた西野君は、感情を必死に抑えようとしているものの、強い口調だった。
「あるわけないじゃん…僕…男子だよ?」
それだけ言うと西野君は、再び壁にかけられた制服を見つめていた。
手を強く握りしめ、目には涙を浮かべながら。
私は突然の展開に、どうすればよいか分からなかった。

一体どれほどの時間が経っただろうか。
実際には、五分と経っていないという現実を壁の時計は指していたけれど、言葉の飛び交うことのない空間の時の流れは、眠気と戦う午後の授業中のようだった。
ふと、西野君が肩の力を抜いて、うなだれる。
そして前に向き直ったその顔は、いつもの「私」の表情だった。
「…これからどうしようか。」
「…。」
その無表情な視線に耐えかねて、私は目をそむけた。
「それじゃあ、とりあえず、今日は帰るね。自分の家に。」
おもむろに立ち上がった西野君の腕を、私はつかんだ。
「帰らなくていいよ。」
「なんで。」
振り返らずに答える西野君。
「なんでって…特に理由は無いけど。」
理由はたくさんある。だけど、そんなことを説明するだけ無駄だと思った。
振り返る西野君。
「神田さんのお父さんは…どうしたの?」
「ああ…単身赴任。大阪に。」
「いつまで?」
「さあ…仕事が終わるまで、かな。」
「そう…。そういえば、西野君のお母さんは?」
「入院してるんだ…癌で。」
「そう…。」
西野君のお母さんの話は初耳だったが、話をしているうちに、私が西野君を引き止めたもう一つの理由がわかった気がした。
「…それじゃあ、お言葉に甘えて…少し寝て良い?今日土曜だよね…それに、なんだか疲れちゃった。」
そういうと西野君は、ふらふらとベッドへと歩いてゆき、横になった。
私は立ち上がって、カーテンを閉めた。わずかな隙間から差し込む朝日が、床の上で白く揺れていた。
横たわっているのは、私の形をした西野君。
そして私は、西野君の身体だ。
クッションの上に腰を下ろし、壁にもたれかかると、私は目を閉じた。
そうか、寂しいんだね。一人ぼっちで。
頭の中でつぶやいた私の意識は、心地よい眠りの世界へと堕ちていった。

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やわらかな布団に包まれた自分は、目を閉じながらも眠ってはいなかった。
なんで正直に言えなかったのだろう。
なにかをくしゃくしゃにしたい衝動が心を駆け巡る。
確かに、自分の家に女子の制服なんてあるはずがない。
だけれど、ついさっき自分が言った言葉が、心をかき回す。
『あるわけないじゃん…僕…男子だよ?』
なぜ自分でもこんな風に言ったのか分からない。
まるで自分に言い聞かせるかのように言った言葉。

…男子だよね。そうだよね。自分の身体は男子だった。
だけど…自分の心は違う。
本当の自分は…私は…女子でありたかった。
そして昨日、その願いを、自分は我慢すると決めた。
決めたのに、その願いは意外な形で叶ってしまった。
神田さんに、迷惑をかけるという形で…。

首を横に向けると、壁にもたれて目を閉じている自分が見えた。
昨日までの自分を見ているようだ。
いや、実際そうなのかもしれない。
神田さんも、自分と同じだ。
自分のせいで、また新たな「自分」が生まれてしまった。
そう考えると、一瞬私は、世界を戻したくなる。
そうすれば、神田さんが悲しまなくても済むのに。
だけど、同時にふと思う。
折角叶った自分の夢を、自ら捨てることはないのではないか、ということ。
また「僕」に戻れば、辛い日々が待っている。
それに加えて高校受験…生きていく自信がない。
でも、それは今では神田さんの苦しみだ。

結局は誰かが苦しむしかないのかな…。
そうなのだとしたら、苦しむのは神田さんではなく、自分の方がいいと思った。
自分はそういう「運命」なのだから、と。

しかし、今そう思えるのは、自分が苦しみから解放されているからにすぎない。
きっと昨日までの日々に戻れば、私は後悔するだろうということも目に見えていた。

でも…、でも…。
同じことを繰り返す自分を、私は制した。
今はとりあえず寝なきゃ。
そして目前のことを考えよう。できることから始めよう、と。

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二人の寝息が微かに響く部屋の外では、誰もが信じている「日常」が、滞ることなく流れていた。

イノチノイミ

ときどき、なんで生きているんだろう、って思うことがある。

自分という意識って何かな、って考えたり。
何が自分を自分たらしめるのか、って考えたり。

で、結局答えは無いのだろうなぁ、と考える。

その時に思うのは、なんだかすべてが無意味だな、ということ。

たとえば、自分が本当の自分になりたいと考えること。
そんなこと、絶対に不可能だ。
もはや自分は今の自分として生まれ、生きてしまったのだから。
それ以前に、今の自分こそが本当の自分なのではないか?
だって自分という存在はこの自分でしかないのだから。
そう考えると、私の言っていることは無意味なように感じられてしまう。
本当の自分になりたいなんて言ってるけど、結局は「自分のなりたい自分」であるだけなのではないか。
…そんなんじゃない、って言いたいけれど。
何一つそんなことを証明してはくれない。

証明があるからそれでいい、というわけでもないと思うこともある。
そんなのは数学とか論理の世界でしか通用しない。

街中で、小さな女の子が歩いているのを見て、思うこと。
自分は永遠に、同じような記憶を持つことはないんだな、ということ。
たとえ姿形が本当の自分になったとしても、男子であったころの私の記憶は私の一部だ。
それは別に嫌じゃない…嫌かもしれない、よくわからない。
だけど、自分の一部であるから、切り離せない。
でもその部分が、周囲の女子と私の決定的な差になりそうで怖い。

私が死んでも、この世界は回り続けるのかな、と思うと、なんか死んだって良いような気がする。

だって、私は不良品だもの。ソフトウエアとハードウエアが一致してない、欠陥商品だもの。

この先もずっと、欠陥商品だから。

でも、私はそこまで考えた挙句、急に、死にたくないと思い始める。
誰だって同じように、死ぬのは嫌だ。
自分という存在が消えるのは嫌だ。
私は今の自分が私のネイティブじゃないけれど、でも私の存在自身は私だ。
今までいろいろ考えてきて、生きてきて、十数年間一人で悩んできたものを、ここ数年は誰かと共有している。
その記憶が消えるのは怖いことだ。

自分の記憶が消えるのも怖い。
せっかく共有した相手の記憶が消えるのも怖い。

今まで自分が生きてきて、生きてきてしまっただけかもしれないけれど、その生成成果物を失うことは、怖い。

だからヒトは、記録をとるようになった。
記録を。

ふと思ったけれど、これから先もそういった記録、記憶、情報というのは、増えていくに違いない。
そうしたら、その情報を理解するための知識を得ることを学習であると定義するならば、その学習しなければならない情報量というのも増えていくだろう。
そして、学習にはある程度の時間がかかる。
そうすると、いつかは一生かかっても学習自体が終わらない、という結果になるのではないだろうか。
すでに得られた既成概念を習得するだけで一生を食いつぶしてしまう。
そんな世界に生きる意味はあるのだろうか。

まあ、そんな時代はすぐには来ないだろうけれど。

専門分化は悪いことだ、と言っている人々がいる。
たしかに、それは納得できる。
しかし、すべての事柄をすべて学習するのは不可能だ。
だから、今後も新しいことを発見するためには、専門分化が必要になると私は思う。

ただし、それを伝えるということが、専門分野だけに偏った知識では難しいのかもしれない。
やがては、専門外には説明などできないようなものになるのかもしれない。今でもすでにそうなりかけているかもしれないが。

…そう、伝えるということ。
私のような人々が感じる「本当の性別は身体とは違う」という意識は、身体と性別が一致している人にとって、本当の意味での理解ができないものなのかもしれない。

たとえそうだとしても、伝える努力はしなければいけないのだろう。
わかろうとしてくれる人がいる限り、その努力は無意味にはならないはずだと思う。

 

…結局一生この苦しみから逃れることはできないのだろう。

いつもふとした瞬間に、自分ってなんだろうと考えた瞬間、所詮自分は欠陥商品だと思ってしまう。

…たまに、「世界にはもっと苦しい思いをしている人がいる」という話を聞く。
というか、そう言われたことがある。
だから何?我慢しろと。
それは違うのではないでしょうか。

まあ、確かに優先順位は違うかもしれない。
今すぐに自分という意識が消滅するかもしれない人(死にかけている、という意味)よりかは、自分は優先度が低いでしょう。

でも、それとは関係なく、自分の望むように生きられるようになるということは、かなえてもらえてもいいような気がします。

…かなえてもらうのではなく、かなえなければいけないのか。

 

やっぱり、よくわからない。
考えれば考えるほど。

生きるって、なんだろう。
私は、誰だろう。

Parallel:World~君と僕と私~001

http://ncode.syosetu.com/n5079bi/2/

とりあえず、第一話です。
誤字指摘や感想等ありましたら、上記のサイトでもブログでも、ぜひお願いします。

自分の体験をもとに書いてしまうと、うっかり実名を書いてしまいそうになったり、表現がわかりにくくなってしまったりして、難しいものですね。

でも、頑張って続けたいです。

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「目が覚めるから、夢だと気付く。目覚めなければ、それは現実と同じことだから。」

001:動きだす、時計の針

「…本当の自分は、女なんです。」
そんな内容のメールを、担任の戸田綾子(とだあやこ)先生に送ったのは、昨日の午後のことだ。
まだ学校が始まって間もない5月5日。
やっと学校生活もリズムを取り戻し、一息ついていた頃であろう先生には、迷惑な話だったかな、と今となっては少し思った。
それでも自分は、打ち明けて良かったと感じている。
どんな返信がくるのだろうか、そもそも返してもらえるだろうか、いや、届いているのかさえわからず、ドキドキしていた、昨日の夜。
その永い闇の先には、予想だにしなかった言葉があった。

「これで、終学活を終わります。起立。」
週番の合図で、一斉に席をひきずる音が響く。
きちんと椅子の後ろに立っている人もいれば、ただ立っただけで、すぐに座れる状態の人もいる。
自分は、前者だ。
「さようなら。」
「「さようなら。」」

再び椅子を引いて席に着いた自分は、急に騒がしくなる教室の中で、一人、窓の外に咲く散りかけた桜の木を見つめていた。
何度考えたことだろう。
この次の春が来るまでに、本当の自分になれるようにしよう、と。

僕…いや、私の名前は、西野楓(にしのかえで)。
来年は受験の中学三年生。
生物学的には男だけど、自分では違うと思って生きてきた。
よくいう、性同一性障害というものかもしれない。
つい最近まで、そのことは自分の心の中にしまって…いや、隠していた。
だって、黙ってさえいれば、周りの大勢の人々に、迷惑をかけなくてすむから…。
だから、今でもほとんどの人にはこのことを打ち明けていない。

それでも、この春休みの間に、何人かの信頼できる友達に、そのことを打ち明けた。
彼女たちは、私のことを信じて、理解しようとしてくれた。
高校受験を目の前にして、もはや「今の自分が本当の自分ではない」という事実に疲れ切っていた私は、少しでも信頼できる人を増やそうと、担任の戸田先生に、昨日メールでそのことを打ち明けたのだった。

トントン。
「失礼します。戸田先生は…ああ、先生。」
この学校には、各学年ごとに職員室がある。通称学年室だ。
ここだけではないけれど、もはや老朽化している引き戸をノックして開けると、そこには戸田先生しかいなかった。
「あっ、西野…くん。英語科準備室に行こうか。」
そう言うと先生は椅子から立ち上がって、こちらに歩いてきた。
自分は数歩下がって廊下に出ると、先生も出てきて、引き戸を閉めた。
廊下は、下校時刻の近づいた生徒たちで溢れていた。
少し周囲の目を気にしながらも、先を歩く先生のあとについて、英語科準備室へ向かった。

戸田先生は、自分が一年生の頃も担任をしていた。
先生としてのキャリアも長く、誰もが信頼するとても素晴らしい先生だ。
二年生の頃は、人事交流で他の学校に行っていたけれど、三年生になってまた先生のクラスになった。
だからなのかな…言う前から気付かれていたのは。

英語科準備室のドア、そういえばここは普通のドアだ、をくぐると、先生に勧められるままに椅子に座った。
「まずは、メールをしてくれてありがとう、楓さん。」
突然、さっきまでは西野くんだったのに楓さんと言われると、なんだか恥ずかしい。
なんでそんなあからさまに変えるのだろう。別に私は西野君だし。
そう、脳内でつぶやく自分。
「そんな…先生の方こそ、気付いていたなんて、びっくりしました。」
昨日のメールの返信に、先生はこう書いていた。
「…実は私は薄々気づいていました。おととし担任した時から。」
それを読んだ時、私は本当にびっくりした。
まさか、気づかれているなんて。
本当に気づいていたのだろうか…。少しだけ疑ってしまう私。
「まあ…それより、いくつか聞いておきたいことがあるんだけど。」
「はい…。」

そのあと先生は、名前を呼ぶ時にどう呼んでほしいか?とか、学校生活の中で何か嫌なことはないか?とか、制服はこのままでいいのか?と聞かれた。
私はすべて、別に今までと同じで良いです、と言った。
「今までこうしてこれたんだから、大丈夫です。」
そう言った時、心の中で私は後悔した。
本当はそんなこと思っていない。
変えられるなら、変えて欲しい。
制服だって。何もかも。
…でも、もう目前に迫った高校受験のことを考えると、我慢せざるを得ないと私は思った。
もし、今周囲の人々が知ったら、どう思うか。
受験先の学校はどう思うのだろうか。
そう考え出したら、切りがない。
だから私は、我慢すると決めた。

いつもとは少し違う日を過ごして疲れた私は、家に帰るとあっという間に眠りについた。
高校生になれば。その時は…。その時までは…。
そう決めたはずだったのに。
神様は私の心なんて無視した。

「ピピッ、ピピッ、ピピッ…」
そういえば、今日は夢を見なかったなぁ。
それに、何だか体も軽いし。

「ピッ。」
…そう考えつつアラームを止めた私の思考回路が、手の中にある携帯電話と自分の手そのもの、そして周囲を取り巻く何もかもが、「しっくりくる違和感」に包まれていることに気がつくまで、そう長い時間はかからなかった。
「えっ?」
思わず発したその声の音色が、私が「私」になったことを教えてくれていた。

丁度同じ頃、「西野君」はすでに目が覚めて、顔を洗いに行こうと洗面所へと歩いて行った。
とりあえず、まだ眠い目を冷水でこじ開け、タオルで顔を拭うと、視界と共に思考もはっきりしてきた。
目の前の鏡を見て、「彼」は一瞬動きを止めた。
何だろう、この違和感…。
…!
「えっ?なんで…西野君?」
振り返り背後を見ても、そこには誰もいない。
もう一度鏡を見ても、そこには私じゃない、西野くんしかいなかった。

「…神田さん、だ。」
鏡を覗き込む自分。
この顔には見覚えがある。間違いない。神田さんだ。
神田さんとは同じ小学校だったし、クラスが一緒になったこともあった。
でも…それでも信じられない。
「…夢、だよね。」
そう思いながら、若干忍び足で部屋をまわる。
さっきこの洗面所まで歩いてくる途中、もう一つのドアがトイレであることはすでにわかった。
そして、ベッドが置いてある、少し広い空間。
短い廊下のような空間の反対側には、玄関のドアが見える。
他に人がいる気配もない。
ふと、ベッドの横に置かれた勉強机の上にある写真立てを見て、自分はある話を思い出した。
その写真には、幼稚園の頃であろう、小さな身体に制服姿の神田さんを挟んで、神田さんの両親と思われる人が笑顔で写っていた。
そう、幼稚園の卒園式があったその日、神田さんのお母さんは、交通事故で亡くなったそうだ。
だから、これが家族全員で写った最後の写真、なのだろう。
なぜだか心が苦しい。
自分も小学四年で父親を亡くしてからは、同じ境遇だからなのか、神田さんとはそれなりに仲が良かった記憶がある。

…だとしても、神田さんのお父さんは、一体どこにいるのだろう。まだ生きているはずなのに。
そんなこと、考えてもわからないけれど、少なくとも今同じ空間に知らない人がいないというのは、安心できることだった。
…そういえば自分の家も、母親は今入院しているから、良かった…いや、そもそも、本当に入れ替わったのだろうか。
そんな、小説のような出来事、あるのだろうか。

とりあえず、自分の家に電話をかけてみよう。
そう思い、近くにあった固定電話に手を伸ばして、受話器をとった。
指がプッシュボタンに触れる…あれ?
思い出せない。
電話番号を、覚えていたはずなのに。
しばらく悩んだのちに、受話器を降ろす。
…そうか、緊急電話連絡網の紙を見れば…。
そう思い、神田さんの机にあったファイルを取り出して、ページをめくった。

なぜもっと早く気づかなかったのだろう…。
私は西野くんの部屋に戻って思った。
下が机になっている二段ベッドのようなものが、部屋の大部分を占拠している。
奥に入り、少し低めの木製の椅子に座ると、机の上にはコンピューターが置いてあった。
残念だけど、私はこういうの苦手なんだ。
そう思いつつ、周囲を見回すと、壁際には天井まで届く本棚。
様々な本が所狭しと並んでいた。
小説も多いけれど、なんだかよくわからない数学とかの本もあるみたいだ。私は絶対に読まないなぁ。
それに…はぁ。
思い出したくもない。
私は机に突っ伏した。
洗面所に行く前、普通に何も考えずにトイレに行った。
あの時は何も思わなかったけれど…今考えたら…。

「ルルルルル、ルルルルル、ルルルルル…」
突然、電話の音が鳴り響く。そういえば電話の音は私の家のと同じだ。
電話の音を頼りに、部屋を出ると、ダイニングの机の上に固定電話の子機を見つけた。
ガチャ。
「はい、神田です。あっ…」
間違えた…そう思ったけれど、電話の向こうからは、今までだったらあり得ないはずの声が聞こえてきた。
「もしもし?神田さん?僕…西野です…」
私の声だ。
「に…西野君?一体どうなってるの。」
「どうなってるって…多分…」
「多分?」
「入れ替わったんだと思う。ごめん…。」
入れ替わった。
そんなバカな、と思ったけれど、でも、そうとしか思えない。
一体…これからどうすればいいのだろう…。
「神田さん、聞こえる?神田さん?」
私の声が聞こえる。でも私はこっちなのに…。
近くにあった椅子に崩れるように座ると、私は少し意識が離れてゆくのを感じた。