Life as Kamino Rui

MtFの私「神野留衣」と、私の現実世界での姿「僕」の二人の日常生活

東京マグニチュード8.0

学校の保健の授業で、グループ別に発表を行わなければいけないので、私は自分の班のテーマである、「災害時の心のケア」について調べています。
もはや昔のことのように思える「東日本大震災」。
その際にも、災害で心に傷を負った人は多くいるはずです。 

調べている途中に、気になるアニメを見つけたので、観てみました。

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それが「東京マグニチュード8.0」です。

このアニメがはじめて放送されたのは、2009年の夏頃のようです。
なので、東日本大震災に影響を受けて作られたわけではありません。
実際、この話で想定されている「首都直下型地震」は、現在想定されているよりも小規模なものに思われました。
もし、実際にこの東京で同じことが起きたら、アニメの中のような話では済まされないでしょう。

実際、先の大震災では、マグニチュードは8.0どころではなく、最終的に9.0と発表されました。
マグニチュードは、2上がるごとに地震のエネルギーは1000倍だったということになるので、1違えば、sqrt(1000) = 約31.6227倍になります。
エネルギーと被害の大きさは比例しないと思いますが、 本当に東京で起こったら…と思うと、私は打つ手がないとさえ思ってしまいます。

 

内容の話になってしまうので、まだ見ていない人は読まない方が良いかもしれませんが、主人公の弟である小野沢悠貴は、地震後の避難の途中で体調を崩し、命を落とします。
しかし、主人公である姉の未来は、その記憶を夢だと思い、しかも弟の幻影を見て、生きていると思い込んでいました。
しかし、物語の最後で、本当は弟が死んでしまっていたことに気付かされます。

「お姉ちゃん…あのね…」
「どうしたの?言ってごらん?」
「あのね、もしも…僕が…死んじゃったら…どうする?」
「えっ…。…ばっかじゃないの?変なこと、言わないの。」 

 本当はいないはずなのに、ずっと気付くまで、普通に会話をしていました。
自分の側にいるはずなのに、いざ、生きて帰って来たと知り合いに話そうとすると、いつの間にかいなくなっているのです。

ふと、夢だと思っていた記憶が思い出される。
医者が、トリアージの赤色の部分を切り取った。
残った色は、黒。
地下の暗い霊安室前の廊下。
死亡診断書の前に、立ち尽くす自分。

そして、弟はこう言いました。

「おねえちゃん、あのね…僕…死んじゃったんだ。」

 

こんな話を聞いても、そんなことが実際にあるのだろうか?と思う人はたくさんいると思います。 私も、そんな体験はしたことがありません。
でも、したことがないからって、本当にないとは言えない。
だって、自分が気付いていなければ、現実のままなのだから。

「いつでも心の中にいるよ。」
「歩き続けよう。」

そう…それでも自分は生きているのだから。
そして、生きている限りは、自分の心の中に、みんな生きているのだから。
だから、前を向いて、歩き続けよう。
そんなメッセージが込められた作品だったと思います。 

 

ふと、こんなことを思いました。
母親にとっては、男の子としての、息子としての「自分」は、死んだのと同じようなことなのではないかと。
そして、それを受け入れられない。

私からすれば、どちらも結局は同じ人間なのだから、誰も死んでないと思う。
でも、確かに、今まで「本当の自分」 は、生きていなかったのかな、と思う。
これから、生きようとしてる。

でも、母親にとっては、一人の子供を失うようなことなのかな…って。

だからって、私にきつくあたるのは間違いだと思いますが。
生きようとしているのに。私は。

学校の先生についても。
「別に今だって生きていられるんだから、放っておけば良い。」
そう考えているのだとしたら、私は間違っていると思う。
そうは思っていないのかもしれない。
でも、何も考えてもらえない自分としては、そう思われているも同然。

友達の一人がこう言いました。
「似合わないより似合う方が良いでしょ。だから、私は、あなたには学ランの方が似合うと思う。セーラー服は…なんか違和感がある。」
そう言われて、かなり悲しかった。
でも、それが現実なのかな、確かに似合わないのかもしれないなぁ、と思った。
でも、同時に思った。
「苦しむより苦しまない方が良いんじゃないかな」
って。

誰かに迷惑をかける(つまり、誰かを苦しませる)のなら、いけないかもしれないけれど、迷惑をかけないなら、私の願いを叶えてもらってもいいんじゃないかな、って。

…母親や、その友達は、迷惑だと感じるのかな。
だったら、それ以外の迷惑だと思わないみんなの前では、自分らしく、いさせてほしい。 
服だけじゃない、って大人は言うけれど。

でも、私は苦しいよ。 
男子の制服を着ていることが。
似合わなくたっていいよ。
似合わないから着ちゃいけないなんて、だれも言わないじゃん。

 

学校に行けないほど、苦しいな、と感じる時もある。

でも、学校に行けば、友達と話ができるかもしれない。
少しでも、可能性がある道を。
歩き続けたいな。
生きているのだから。 

…その歩き続ける様子を見て、何もしてくれない大人達は、人間としての価値がないと思うけれど。
立ち止まってばかりの人間達に遮られるのが、本当にいらいらする。
生きているんでしょう?

歩き続けようよ。
生きていたいのなら。