わざとなのか、故意なのか
お久しぶりですね。神野留衣です。
やっと今週が終わりました。いや、むしろ終わらせました(笑)。
本当は学校が終わったら塾に行くはずだったのですが、身体的にも精神的にも疲れてしまったので、これを書いたら眠るつもりでいます。
今回は、メールによる投稿のテストも兼ねているので、あまりにも構成が崩れていたら、あとで修正を加えるかもしれません。原文は残しますけれどね。
さて、題名を読んで、わざとも故意も同じ意味ではないか?と思った方。
はい、正解です。誤字ではありません。わざとです(苦笑)。
一体何のことを言っているのかというと、母親のことです。
ちょうど、ついさっき塾に行かないと決めて、寝ますと宣言した時のこと。
「また休むの?やめるの?」
…なぜやめるという短絡的な考えになるのか理解できない。
「そりゃあんた、二時ごろになって起きて来たりして、体調管理くらい自分でしなきゃでしょ、我慢しなきゃでしょ、行きなさいよ」
…なぜ不規則な生活になっているのか分かっているの?
我慢してたら余計に崩れるよ?
だから行かないんだって。
とまあ、心の中で考えつつ、
「行かないよ」
とだけ言って、自分の部屋で布団を被っている私。
そう。何を言いたいのかって?
私は母親に分かって欲しい。
毎日二十四時間「僕」でいることがどれだけ私を苦しめるか。
その上、せっかく打ち明けたのに、どうしても私を「僕」として見ているようにしか聞こえない発言ばかりをするのか。
どうして何も考えていないのか。
…いや、何も考えていないわけではないとは思います。
ただ受け入れるのに時間がかかるだけ…そうなんでしょうね、きっと。
でもそれって、わざとなの?故意なの?
そう考えると、悲しくなります。
少し話は変わりますが、私にとって塾に行くのは(現在行っているところに限って言えば)むしろ楽しいイベントです。
私の大好きな化学についての講義なので、聞いているだけで全然苦にはなりません。
でも、それをなんだか手放しで楽しめない自分が、少し嫌いです。
いろいろ考えていると、結局嫌になります。
だから、休んだわけです。
そう言うならば、学校は?と思われるかもしれません。
そういえば最近、あまり学校に行きたくないと感じてしまうことがあります。
それでもなんとか学校に行っているのは、学校が好きだからということと、家にいる、母親といるのが嫌だということ、一度休んだら二度と行けなくなってしまうのでは、という恐怖と、唯一私が信頼できる友達と会える可能性を減らしたくない、忘れられたくないから、だと思います。
…理由付けなんて、無意味なことですけれどね。
でも今朝は、行きたくないという気持ちが危うく勝ちそうになってしまいました。
なんとか行けたから、よかったですけれど。
それでも、なんだか学校にいても、なんだか現実感がない、というか、現実として認めたくないのか、思考がはっきりしない気がします。
そう…私が母親に分かって欲しいこと。
それは、もう少し私のことを考えてくれれば、いろいろなことが少しは上手くいくのではないか、ということです。
そもそも、「私」を周囲の人に打ち明けようと思ったきっかけが、母親と喧嘩する原因の大部分を占めていると考えていたからでした。
母親に対して正直でいられないから。だから、すれちがう。
でも、母親は認めたくないみたいです。
母親が母親の友達(その人は、私がこのことで悩んでいる事を一応知っている)と電話で話している時に、母親はこう言っていました。
「私ってずるいからさー、もし違ったら、って考えちゃうんだよね」
やっぱりそうなのか、認めたくないのか、と思いつつ、少しは気にかけてくれていた(私のことを忘れようとしていたわけではない)のだと、その電話の会話を聞いている時に、少しだけホッとしましたが。
次回の病院の日に、母親も一緒に行ってくれるように頼んだので、病院の先生の話でもう少し私のことをわかってくれるようになる事を期待しています。
さすがに眠たいので、ここまでにします。
時間があったら、まだ書きたい事が残っているので、書きたいと思います。
では。