Life as Kamino Rui

MtFの私「神野留衣」と、私の現実世界での姿「僕」の二人の日常生活

コトバにできないキモチ

声にならないから気持ちなんじゃない?

 

こんばんは。神野留衣です。

一体何なのでしょうか。このキモチ。
ちょうど今、ある曲の楽譜を自分でコンピューターに打ち込んで、聞きながらこの文章を書いています。
学校の選択芸術の、音楽でやっているからなんですけれどね。

 

この気持ちはなんだろう
この気持ちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって

 

皆さんも、この詩をどこかで見た覚えはあることと思います。
谷川俊太郎氏作詞の「春に」という詩ですね。

正直私は、この詩を中学校の頃に国語の授業で習った時には、あまり好きではありませんでした。
そして、今も。

ですが、伝えたいことの意味は、とても共感できる気がします。

それを今は、四部合唱でやっているのです。
当然、自分は…テノールを歌うわけですが。はぁ。
そんなことどうでもいいもん。全パート覚えてやる。

 

というか、こんな話をしたかったのではなくて。

最近、私はよく、こんなことを考えます。

どうして自分は、上手く伝えられないのだろう、と。
そして、自分の言っていることは、願っていることは、正しいことなのかと。

もちろん、答えが出ないことなのかもしれない。

でも…私自身が、心配になってしまうのです。
こんな人生で、いいのかな、と。
そして突き詰めて考えると、今更もう遅いのではないかと考えてしまったり。
人生を終了させる方がよっぽど良いのではないかと、考えたり。

私が今一番辛いのは、周囲のみんながあたりまえに私を男子として扱うことです。

それがあたりまえの世界であること。
それにだれも疑問を持たないこと。
それがいやです。

…まあ、本当にあたりまえといえばあたりまえだし、それが確かに現実なのかもしれない。
でも、私にとってはそんなこと、現実じゃない。
なんで毎日こんなに現実感のない世界を生きていかなきゃいけないのだろう。

どんなに激しい雨に降られても、目を閉じて私を呼び出す。
それだけで、周囲の世界はまるでただの映像のような世界。
現実感がない。
現実であってほしくないから。
雨にぬれて、寒いはずなのに、居心地が悪いはずなのに。
何も感じない、感じたくない。

でも、そんな現実感のない世界で良いのだろうか、と疑問を持った時、ふと苦しくなる。
私なんて存在はどこにもいない。
必要となんてされていない。
いや、必要とされる必要なんてない。
ただ自分が、私が私であると思うことさえできれば。
でも、それすらできない。

 

 

そう考えていた自分を、こうやって文章を書きながら、思い返して、こう思う。
そんなに深く考え過ぎる必要なんてなんじゃない?
いつかは変われる。
それに、ルールだし。しょうがないよ。

でも、そうやって今の状況を肯定するような意見を挙げるのは、私にとって難しい。

だって、もしルールだからしょうがないというのなら、これから先も永遠にそうしなきゃいけない。
わかってるよ、いやというほど。
なにを言ったって、私は男子。本当の女子になんかなれない。
心の方が大事?結局ヒトは目に見えるものしか信じない。
本当に私のことを信じてくれるの?できるんですか?

できてくれなきゃ、困るよ…。
もういやだ。

…。

だれも苦しいなんてわかってくれないじゃん。
何でわかってくれないかって?
私がうまく伝えられないから…。

だって…そんな…言えない…言ったら…気持ち悪いじゃん。
だって…男子が…そんなこと言ってるって…なんかおかしいじゃん。
そう見えるんでしょう?そう見えるじゃん。
いやだよ。そんな風に見て欲しくない。

そう考えて、いつも上手く伝えられない。
苦しくない?って質問がせっかく投げかけられても、大丈夫です、って答えてしまう。

それは、確かに嘘じゃない。
だけど、そう答えてしまう自分がいることに対して苦しい。
今の自分の存在自体が苦しい。
そう、わかってもらえるのかな。

きっと、それが苦しすぎて、ほかのこと、わからなくなっちゃってるんだ。

現実感が、ないんだもん。

男女混合のグループで歩いていたはずが、いつの間にか男女が分かれてしまう。

自分はどうすればいいの?

男子の側にいたって、話すことなんかない。
じゃあ、女子の側?
そっちの方がかなり楽だけど、でも、また要らないことを考えてしまう。
周囲の人から見たら、仲よさそうに話している男女なんでしょう?
…。

そう考えているうちに、いつの間にか私は一人でその中間地点に立っている。
あれ?

どこだろう。
なんで?
理由は全部わかってる。
でも。

全部わかってるなんて、考えない方がいいって、友達に言われた。
それは正しいと思う。
でも、本当に、全部わかっているような気がしてしまう。

それは、現実感がないから。

もっと、分からないことが多い世界に生きたい。
こんな、わかりきったことしか見えない世界は嫌。

つまりは、ね。

なんで、楽に生きられないんだろう。
もっと、頭の中、空っぽにならないのかな。
現実を、感じたい。

 

…でも、そう考えたとき、さらに要らないことを考えてしまう。

たとえ、たとえみんなが受け入れてくれて、変われたとする。
私でいることが、できるようになったとする。
だけど、結局いつまでもこの悩みは続いて行くんだな、って。

軽くなるのかな。

 

たとえ悩みの重さが変わらなくたって、私は私として生きたい。

周囲の人々は、こう言う。

生きていくのが、難しいよ。って。

でも、そんなこと、私にとっては、変わろうが変わるまいが変わらない。

それに、私としていられるのなら、他のどんな重圧にだって、打ち勝てる気がする。

 

それに、たとえどんな人生になったって、それが人生なんだから。

辛いとか、難しいとか、楽とか、そういう比較は、意味をなさない。

だから、お願い…私として、生きさせてください。

 

 

 

 

 

…なんだ、どんな人生を歩んだって、それが人生だって言うんでしょう?
だったら、変わらなくてもいいじゃん、今のままで。

 

…なんて、言われてしまったら、どうすればよいのだろう。

なんでそんなに、周囲の人々は私のことが嫌いなんだろうか。

そんなに、出てきてほしくないのだろうか。

なにか悪いことでもしたのだろうか。

あたりまえじゃ、ないのだろうか。

みんなは、あたりまえなのに。

 

 

おやすみなさい。